下北方言(下北弁)
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下北半島(下北地方と上北地方の一部)
江戸時代まで南部藩の領地だったところ
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南部藩の商港(しょうこう)が開け、関西や北陸の言葉の影響を受け発達した方言である。海を通じて津軽藩の人との交流もあったため、南部弁と津軽弁の中間の特色をもつ。人口のほとんどが沿岸部に集中しているため、浜言葉らしい荒っぽさがあり、話す速度が速い。その一方で、「にし」「さまい」などの丁寧に相手をもてなす優しい表現があるといった二面性をもつ。陸奥湾(むつわん)に面した西通り(にしどおり)、津軽海峡に面した北通り(きたどおり)、大平洋に面した東通り(ひがしどおり)で言葉に違いがある。
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南部方言(南部弁)
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上北(かみきた)地方、三八(さんぱち)地方
江戸時代まで南部藩の領地だったところ
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南部弁は上北地方の上北方言と三八地方の三八方言に分けられる。また、野辺地町(のへじまち)は、南部藩の商港であったこともあり、関西や北陸の言葉の影響を受け独自の野辺地方言が発達した。津軽弁にくらべ、ゆったりと話すため女性的といわれる。南部藩と津軽藩は敵対関係にあり、人々の交流が制限されていた。そのため、南部弁と津軽弁という性質の異なる方言が生まれた。八戸市は南部藩の城下町(じょうかまち)として発展した都市で、同じ南部藩の城下町であった岩手県盛岡市の盛岡弁とは異なる八戸方言(八戸弁)が発達した。
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津軽方言(津軽弁)
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津軽地方
江戸時代まで津軽藩の領地だったところ
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弘前市(ひろさきし)周辺、黒石市(くろいしし)と五所川原(ごしょがわらし)市周辺、青森市周辺、西海岸、陸奥湾沿岸、津軽半島北端、山あいの地域でそれぞれ方言に違いがあるといわれるが、南部藩の言葉にくらべ、地域内での言葉の違いの差が小さい。弘前市は津軽藩の城下町(じょうかまち)であり、上品で丁寧な口調の弘前方言が発達した。南部弁よりも話す速度が速く、男性的と形容される。
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