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むかし話を下北弁で

■ ももたろう

■ 鼻欠け十王

■ あわびの恩返し

あわびの恩返し むつ市大畑町

むがし、大畑さ長川仲右衛門(ながかわなかうえもん)づ船頭がいだったど。船乗りの命ばあずかる仲右衛門っきゃ大した信心深いふとで、毎日(めぇにぢ)、大畑の八幡さまさお参りばかがさねふたど。

むかし、大畑に長川仲右衛門(ながかわなかうえもん)という船頭がおりました。船乗りの命をあずかる仲右衛門はとても信心深い人物で、毎日、大畑八幡宮(おおはたはちまんぐう)へお参りを欠かしませんでした。

 

ある年、江戸幕府(えどばくふ)の命令(めーれー)で、ご用船の政徳丸(ごようせんせいとくまる)で海産物(かいさんぶつ)ば江戸さ運ぶごとさなったど。

その日も朝早ぐ(はえぐ)がら八幡さまさお参りしてあったど。へて、帰りに、砂浜ば歩いていらったっきゃ、岩の上で、からすがちゃっこいあわんびばつづがしてらったど。ほいば見だ仲右衛門はあわんびばかわいそうだど思って、助けで海さ投げでやったど。

ある年のこと、江戸幕府(えどばくふ)の命で、ご用船政徳丸(ごようせんせいとくまる)で海産物(かいさんぶつ)を江戸へ運ぶことになりました。

その日も朝早くから大畑八幡宮にお参りし、帰りに砂浜を歩いていると、岩の上で、からすが小さなあわびをつついていました。それを見た仲右衛門はあわびをかわいそうに思い、助けて海へ投げてやりました。

 

さぁ、こった船出だ。海産物ばずっぱど積んだ船が、天気いい海さ出はってたど。ところが、いっとぐまに天気がくんずいできて、大あらしさなったど。船っきゃたんだでねぇだげも波にかってもまいでよ。そーこーしてらったっきゃ、船の底が割いできて、水があれよあれよどいう間にずぶずぶど入ってきたど。仲右衛門は夢中(むじゅう)さなって「ご用船ば助けでけさまい」って八幡さまさお祈りしたど。

さて、いよいよ船出。海産物をたくさん積んだ船は、快晴の海へとすべり出しました。ところが、あっというまに天気が悪くなり、大あらしになりました。船ははげしく波にもまれ、そうしているうちについに船の底が割れてきて、水がみるみる間にどんどん入ってきました。仲右衛門は夢中になって「ご用船を助けたまえ」と八幡宮に祈りました。

 

へたきゃ、不思議なごともあるもんだぃのぉ。水が急にとまったど。だどごで、船は無事に近ぐの港さ着げだど。早速(さっそぐ)、船底ばあらためでみだっきゃ、みんなして、はぁたまげでまった。六寸(ろぐすん)ばしもあべが、おっきたあわんびが船の底のひびさびだっと吸いついでいだったど。きっともって仲右衛門が助けでやったあわびの子の親だべおん。仲右衛門はこのあわびば伊勢の大神宮の神様さ供えで、祈祷ば受げで帰って、へて大畑の八幡さまさ納めだど。

そのとたん不思議なこともあるものです。水が急にとまりました。そのため、船は無事に近くの港に着くことができ、早速、船底をあらためてみたところ、みんなはアッとおどろきました。六寸(ろくすん)くらいもあろうか、大きなあわびが船底のひび割れにぴたっと吸いついていたのです。きっと仲右衛門の助けてあげたあわびの子の親にちがいいありません。仲右衛門はこのあわびを伊勢(いせ 三重県)の大神宮の神前に供え、祈祷(きとう)を受けて帰り、それから大畑八幡宮に奉納(ほうのう)しました。

 

大畑の八幡様さっきゃ、今でもこの大きたあわびのけっからが神社の宝どしてまつられでらど。へて、その箱っこさ、『幕府の内意によって御燈明料(おとうみょうりょう)をそえて八幡宮に奉納した』ど、あわんびの由来がはっきりど書かがいでらど。

大畑八幡宮には、今でもこの大きなあわびの貝殻が神社の宝としてまつられています。そして、その箱には『幕府の内意によって御燈明料(おとうみょうりょう)をそえて八幡宮に奉納した』と、あわびの由来がはっきりと書かれています。

 

参考資料 東北電力株式会社『潮騒のうたが聞こえる』1982年 「あわびの恩返し」

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作成更新:2006年4月5日

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