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下北弁について

■ 下北弁とは

■ 広大な南部藩領

■ 独立させて考える理由

■ 歴史的背景

■ 地理的背景

■ 下北弁の境界はどこ?

 

下北弁の境界はどこ?

青森県は藩政時代、南部藩(盛岡藩と八戸藩)津軽藩に分かれていました。この二つの境界は、おおむね現在の野辺地町(のへじまち)馬門(まかど)と平内町(ひらないまち)狩場沢(かりばさわ)の間から八甲田連峰に向かって引いた線とされています(下図の赤太線)。

下北半島は南部藩(盛岡藩)に属し、現在の市町村区分では、むつ市、下北郡(しもきたぐん ピンク色の町村)、上北郡(かみきたぐん クリーム色の町村)の一部の町村が下北半島に入ります。

さて、本題!! 下北弁と南部弁の境はどこなのか???
これに関しては、南部弁と津軽弁のような明瞭な境界はありません。方言というのは、必ずしも明瞭や明瞭な境界で分かれるとは限らないんです。そこで、おおよその境となる地域をあげます。下北弁と南部弁は、陸奥湾側は横浜町(よこはままち)、野辺地町、太平洋側は六ヶ所村(ろっかしょむら)北部が下北弁と南部弁が混じる地域とみなしてよいと思います。

 
地図上では赤の半透明の太線のあたりとなります。

 

国道4号あるいは東北本線を路線バスや普通列車に乗って下北方面へ北上すると、野辺地町に近づくにつれ、地元民と思われる乗降客の言葉がより下北の言葉に近くなります。
JR東北本線 野辺地駅

野辺地町中心部を過ぎて更に北上し、横浜町に入ると、かなり下北の言葉に近づきます。それは横浜町の住民が、日常生活において野辺地町民よりもむつ市方面との結びつきが強いためであると考えられます。下北弁ネイティブの私の耳で聞いたところでも、横浜町の言葉はほぼ下北弁といって良いと思います。

JR大湊線 陸奥横浜駅

 

こうした推察を裏付けてくれているのが、国立国語研究所の方言文法全国地図です。方言地図で言葉の分布をみると、青森県南地方と明らかに異なることがわかります。「〜だけれども」「〜なので」など日常頻繁に用いられる言葉や語尾に青森県南地方との差がみとめられ、その境目となるのが、おおよそ上の地図で示したあたりなのです。

野辺地町、横浜町はともに上北郡に属しますが、上北郡→南部地方→南部弁と結びつけて考えるのではなく、実際に、どのような言葉が話されているかをきちんと見極めて、地理、歴史、そこに住む人の移動などを総合してその土地の方言を考えるのがベストだと思うのです。

 

【参考サイト】
野辺地町立図書館』の野辺地方言集
青森の方言
国立国語研究所 方言研究の部屋

【参考文献】
平山輝男・佐藤和之編(2003) 『日本のことばシリーズ2 青森のことば』
 明治書院

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作成更新:2006年3月31日

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